【自然療法の話】淀んだ心をすっきりさせたいときは? 心の浄化法について解説します。

こんにちは。

墨彩画家でセラピストの桂颯(けいそう)です。

 

今回は、

心を浄化する方法についてお話したいと思います。

 

前回の

「いくら寝ても疲れがとれなくなってきたら、

負のスパイラルに陥っているかも」

という講座でお話したように、

ネガティブ感情は、体にかなりの悪影響を与えます。

 

しかし、考えたくなくても、

次々に勝手に流れ込んでくるのが、ネガティブ感情で、

心がよどんでくる原因となっています。

 

そうしたネガティブ感情を止める最も良い方法は、

瞑想であることをお伝えしました。

 

しかし、瞑想以外にも、

心を清める方法はいろいろあります。

 

それは、逆に、私たちの心が、

どんなときに清められるか、知ることが大事と、

私の尊敬する東洋医学の伊藤真愚先生は、

その著書の中で、語っておられます。

目次

 心が浄化されるときとは

伊藤真愚先生は、

心が浄化されるときとは、

① 自分の内面に清らかな心がわいているとき

②他人との関わりの中で心が浄化されたとき

③他人によって浄化されたとき

に分けることができるとおっしゃっています。

 

①自分の内面に清らかな心がわいているときとは?

(1)笑顔がほころんでいるとき
私たちの心は、湧き出る清水のように

和やかさにみちています。

(2)希望にあふれているとき
(3)努力、精進をしているとき
(4)謙虚な心になれたとき

②他人との関わりの中で心が浄化されたとき

(1)人を喜ばせたとき
実は、喜んだ人より、

むしろ、喜ばせた人の方がうれしく、

心が清められるのです。

(2)思いやりをそそいだとき
慈しみの目で、

幼児の遊ぶ姿を見つめている老人の姿は、

ほほえましいものです。
そのとき、老人の心は浄化されているのです。

(3)奉仕したとき
代償を求めず、奉仕に徹したとき、

明るい心が満ち溢れ、心は浄化されます。

4)役にたったとき
他人の役に立った時は、本当に嬉しいものです。

③他人によって浄化されたとき

(1)感謝されたり、認められたとき
相手の感謝の心がこちらの心を照らしてくれ、

明るく浄化されます。

2)愛の大きさ、深さに感動したとき
愛には、さまざまな形があります。
そうした愛が心の中に感動として広がったとき、

心を洗う洗剤となり、心は浄化されます。

(3)いたわりを知ったとき
自分へのいたわりだけでなく、

いたわりあいの話を聞いたときも、

心は浄化されます。

(4)努力の結果が報われたとき、
目的達成の喜びは大きく、

心は光り輝き、浄化されます。

 

どうすれば、心が浄化されるかは、
これらを実行すればよいということになります。

 

しかし、実際には、

そう簡単には実行できないのが現実です。

 

日々、問題が次々に起きてきて、

その解決だけで精一杯。

心の浄化をするゆとりはもてないという人は

多いことでしょう。

しかし、小さな一歩でも踏み出せば、必ず到達できると

伊藤真愚先生は、話しておられます。

 

さて、私がお伝えしたいのは、ここからです。

どういうときに心が浄化されるかということが、

わかった上で、お伝えしたいのが、

私の具体的な戦略なのです。

自分から美しい言葉を発しよう!

人間関係の只中にいて、人任せで、

心を浄化しようとしても、困難だというのが、

私の実感です。

 

相手は、こちらの思うようには動いてくれません。

 

だったら、まずは、自分から、

人の心が浄化されるような美しい言葉を

日頃から、たくさん発することです。

「ありがとう」「うれしい」「あなたのおかげで」
「気持ちいいね」「やさしい」「おはようございます」などなど。

美しく気持ちの良い言葉には、

さわやかな「気」が宿り、

波動となって、相手の心に伝わり、

自分も人も心が浄化されるからです。

ただ話の内容だけを伝えるのではなく、

言葉を発する波動も、心地よく、明るいものとなるよう

気を配るとさらに効果的です。

人は、話の内容だけでなく、

相手の発する波動も受け止めているからです。

 

会話をするときには、

言葉を大切に使うよう心がけるようにしましょう。

「口は禍いのもと」

うっかり放った言葉が相手を傷つけ、

何年も苦しむことだってあるのです。

 

いつも慈愛のあるよい言葉を語るようにしましょう。

 

そうした言葉「愛語」は、時として、

天をも回してしまう力があるのです。

 

「愛語」については、こちらをご覧ください。

運命をひっくり返すほどの力をもつ「愛語」

心が浄化されるような話にたくさん触れること

先に述べたような、心が浄化されるような話、

例えば、心がほっとするような話、感動的な話、

努力が実る話、優しい話、ためになる話、

そうした物語を、本で読んだり、耳で聞いたりして、

とにかく、シャワーをあびるように

たくさん触れることです。

 

「禅語」に

「霧の中を行けば覚えざるに衣湿る」という教えがあります。

 

善い人のそばにいれば、善い影響を受け、

悪い人のそばにいれば、悪い影響を受ける。

それは、濃い霧の中を歩いていると、

いつの間にか衣服が湿っているように、

身を置く環境によって

無意識のうちに受ける影響のことを意味しています。

 

いつも、心が清められるような話に触れていれば、

自然と、さわやかな生き方を学び、

心も浄化されるのです。

 

今から、数十年前、

苦しそうな私のようすを見かねた、

ある禅宗のお坊様が、

私を坐禅に誘ってくれたことがありました。

 

坐禅の後、一つのテープを私に渡してくれました。
それは、「早川一光」さんの講話でした。

 

戦後まもなくから、

西陣の地域医療に心身をなげうって

活躍された町医者のお話です。

 

当時、早川先生は、

関西のラジオ番組でお話をされており、

それを録音したテープでした。

 

早川先生のお話は、

ただためになるだけでなく、とにかく、

落語を聞いているように面白いのです。

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「おばあさん、いつまでもお元気ですね」と言われて、

「おかげ様で」といえるおばあさんはボケませんわ。

だって、声をかけた人の「いつまでもお元気で何よりですね」

っていう心を受けて返しているんですもん。

ところがボケかけてくると、

「生きてて悪いのか」なんていう。

「いつまでもお元気ですね」が、

「いつまでも生きてるな」と聞こえるのやて。

これは、心に大きな垢がたまっているせい。

だからみなさん、どんなにお年をとられても、
「いつまでもお元気ですね」といわれたら、

「はい、おかげさまで」と言うてくださいね。

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心の目が空いていることが、ボケない方法なんです。

逆に言えば、「ありがとう」「おかげさまで」

と言える方がボケないということ。

だから、どんな言葉をかけられても、

「ありがとう」「おかげさまで」というてください。

「生きてて悪いか」という方が、先にボケていきます。

「おかげさまで」と言える方は、

寝たきりになってもボケないですみます・・・・。

・・・・・・・・・・・・・・

なんて、おっしゃるのです。

早川先生のお話は、温かく、ユーモアがあり、
笑いながら、心を浄化できるためになるものばかりです。

 

私は、早川先生のお話をもっと聞きたくて、

後年、ネットで探し、ユーキャンの「みんな、元気い?」

という12巻のCD集を購入し、毎晩聞きました。

 

12巻となると、ちょっと出費は痛かったけど、

そのときの私は、なかなかハードな状況でしたので、

体が求めていたんだと思います。

 

最初は、お話が面白くて、興味津々で聞きましたが、
早川先生のゆったりと温かい声が聴きたくて、

話の内容がわかっていても、何度も何度も聞きました。
寝る前に、聞くのがお勧めです。

何故なら、

日中の仕事や家庭のトラブルで沸いていたネガティブ感情が、

講話を聴くことで完全に遮断されるからです。

 

とまらない感情や思考が遮断されると、

それだけで、かなり楽になります。

 

早川先生のお話だけでなく、

アンドルーワイル氏のナチュラルメディスンCD、

さまざまなお坊さまの法話集や落語や山本周五郎朗読など、

心が明るく楽しくなるような話をたくさん聞きました。

 

但し、そうした話でも、

自分の心に共鳴するものを選ぶ必要があります。

 

たとえ、愛や心をテーマにした内容であっても、

必ずしも、自分と波長があうとは限らないからです。

聞いていて、あるいは読んでいて、

自分が心地よいと感じる人の作品に

たくさん触れてくださいね。

 

さて、今回は、ここまでです。

次回は、自然とのかかわりの中で、

心を浄化する方法について、ご紹介しますね。

何故、墨彩画を描くことをお勧めするか、

ご理解いただけると思います。

楽しみにしていてくださいね。

次回、またお会いしましょう。