短冊 禅語「愛語」
「愛語」=「相手の気持ちを思ってかける優しい言葉」
道元禅師は、
「愛語よく廻天の力あることを学すべきなり」
(あいごよくかいてんのちからあることをがくすべきなり)と言っておられます。
真心のこもった言葉は、時として、
相手の人生をひっくり返してしまうほどの威力を持つという意味でしょうか。
若いころ、「そんなことはあるはずがない」と思っていました。
しかし長い人生経験を通し、
私自身が「愛語」に何度か救われ、生きる勇気を頂く
という経験をして、今では、心底納得しています。
「愛語」は、単に優しい言葉というだけではありません。
時には、耳障りな厳しい一言であったりもします。
そこには、相手への深い思いやりがなくてはならないのです。
かつて、私が、どん底の苦しみを味わっていたとき、
多くの方が優しい言葉をかけてくださいました。
しかし当時の私の心の闇は深すぎて、
それらの言葉は少しも届きませんでした。
そんな中で、ただ一人、
あるクリスチャンの女性がかけてくださった、
「つらいね」の一言が、私の心魂に達しました。
「ああ、この人だけは、私の痛みをわかってくださっている」と
感じたのです。
その女性は、当時、認知症の義理の母親の介護で、
大変なご苦労をされていました。
「愛語」は、相手と同じ痛みの深さまで、
降りてきて共感してもらえて、初めて、
運命がひっくり返るほどの威力を持つのかもしれません。
私は、「つらいね」の一言で、生きる勇気を頂きました。
言葉の奥にあふれる愛が、私を明るく照らしてくれたように思います。