こんにちは。
墨彩画家でセラピストの桂颯(けいそう)です。
さて、今回は、【自然療法のお話】
指圧の先生に「あなたの心は重い」と言われたわけとは?
心のエネルギー量がわかると、人間関係はうまくいきます!
というテーマで、
心のエネルギー量についてのお話をしたいと思います。
と言っても、
形の見えない心にエネルギーなんてあるのだろうかと
疑問に思われる方がほとんどだろうと思います。
でも、
実は、心にはエネルギーがあり、重さがあります。
東洋医学的にいうと、
「気」つまり「生命エネルギー」のようなものでしょうか。
「気」が、科学的に証明されているわけではないように、
心のエネルギーも科学的に数値化できるようなものではありません。
しかも、心のエネルギーは、
愛やスピリット、生命エネルギーや感情などからできていて、
複雑なのです。
けれど、心のエネルギー量は、
見ようと思えば、
感覚的、経験的になんとなく感じることはできるはずです。
そうした視点をもつと、
自分や周りの人の心のエネルギー量が見えてきて、
自分の心を客観的にみられるようになったり、
良好な人間関係を築けたり、
芸術がわかるようになります。
今回は、
そうした心のエネルギーについて、
できるだけ具体的な例を挙げて、
わかりやすく解説していきますので、
最後までおつきあいくださいませ。
目次
心が重くなる例
心のエネルギーというと、わかりにくですが、
「心が重い」とか「心が軽い」という表現に変えると、
ちょっとわかるような気がしませんか?
例を挙げてみましょう。
あなたの友人の中に、
とても愚痴っぽい人がいたとします。
ネガティブオーラ全開の人ですね。
その人が、あなたの隣に座ったとします。
すると、あなたは、その人のそばにいるだけで、
気持ちがどんと重くなったりしませんか?
まだ、会話もしていないのに、
気分が滅入ってしまった経験はありませんか?
実は、この時、
愚痴っぽい人の心の負のエネルギーが、
波動となって、あなたに伝わっているんですね。
心の中で思っている感情というのは、
黙っていても、外に染み出てくるものなのです。
おおざっぱな言い方をすれば、
ネガティブな感情をもっている人の周りは、
人の心を重くするオーラが、
ポジティブな感情をもっている人の周りは、
人の心を軽くするオーラがでているということです。
さて、話を元に戻して、
指圧の先生に、
「あなたの心は重い」と言われたときの
お話をしましょう。
心が重いとは?
私が、経絡指圧の上級コースを受講していたときのことです。
講座は、まず先生の手技を見学して覚え、
ペアを組んだ生徒同士で、お互いの体で手技の練習をし、
最後に先生の体を指圧して、指導を受けるというものでした。
私の順番が回ってきて、
先生の背中を指圧したときに、言われたのです。
「あなたの心は重い」
???? どういうこと?
私がぽかーんとしていると、先生は、
「あなたは、相手を治そうとする気持ちが強すぎる。
その気持ちが重い。」と続けておっしゃったのです。
経絡指圧は、
体を流れる「気」を感じながら、施術する指圧です。
私は、決して、物理的に強く押圧したわけではありません。
先生は、私の「気」を感じて、そうおっしゃったのでしょう。
それまで、相手を治そうとする気持ちが強いことは、
優しさだから良いことだと思っていた私は、
面食らいました。
さらに先生はおっしゃいました。
「無心で指圧しなさい。
自分の想いが強すぎると、
相手の「気」が見えなくなる」と。
それは、今考えると、とても深い教えでしたが、
当時の私には、理解できませんでした。
でも、自宅サロンで、お客様の体を10年以上、
施術し続けてきた今なら、よくわかります。
心には、
エネルギーがあり、重さがあるということを。
そして、セラピストは、
無心で施術しなくてはならないということを。
セラピストの心情は、下の講座で解説していますので、
こちらを参考にしてください。
恩を仇で返すとは
人に物を差し上げたり、親切にしたりするときは、
よくよく気をつけなくてはなりません。
時として、
相手に大きな負担を与えていることがあるからです。
これは、
心のエネルギー量を考えると、理解できます。
相手を思いやる心のエネルギー量が、
受け取る相手の心の容器の大きさ以下であれば、
良好な人間関係が保てます。
しかし、思いやる心のエネルギー量が、
相手の心の許容量を上回っていたら、
相手は、心に負担を感じてしまうのです。
心の負担=ネガティブエネルギー です。
せっかく親切にしても、
相手にとって、あなたは、
心を重くする存在になってしまうのです。
心の負担が積み重なれば、
恩を仇で返すということもありえるんですね。
相手に負担を与えない優しさとは?
相手に対する思いやりや親切を、
その都度、きれいさっぱり忘れることです。
つまり、セラピストが無心になることと一緒ですね。
こちら側の心のエネルギー量がなければ、
相手の心の負担になることありません。
「この間、差し上げたプレゼントは、
喜んで頂けたでしょうか?」
なんて、いちいち聞いたりしないことです。
差し上げたものは、
相手が捨てようが、売ってしまおうが、
相手の自由なのです。
差し上げた瞬間から、忘れてしまうようにしましょう。
惜しいと思うものなら、最初から差し上げないことです。
風のような愛
私の尊敬する紀野一義氏は、
著書の中で、
理想的な愛の形を、
北原白秋の詩「かぜ」に例えて教えてくださっています。
かぜ
かぜふく きえしかがやきを
ふきそよがしてひかりゆく
のはらいちめんかがやかに
てりかがやかし、わすれゆく
風が吹く。
その人の愛の風がどこからともなく吹いてきて、
生きる気力を無くした人々の心を
ふるいたたせて元気にしていく
野原一面を光輝かした後、
その人は、何事もなかったかのように、
吹きすぎ、忘れゆく
私は、「愛」というものを考えるとき、
いつも、光り輝く野原を想像します。
「愛」=「さわやかな風」
そんな愛の形があれば、素敵ですよね。
しかし、全く逆のことも言えると思います。
相手を傷つけた場合です。
誰かを傷つけた場合
その傷が軽いものであれば、
「ごめんなさい」と謝れば、許してもらえます。
しかし、その傷が深いものだった場合、
相手は許してくれないでしょう。
傷ついたエネルギーに見合う謝り方をしなければ、
相手は、納得できないのです。
傷つけた側も、
「謝ったのに、許してくれない。」ということになり、
絶縁状態になるかもしれません。
相手が傷ついたエネルギー量と同じ程、
心を込めて謝る必要があるのです。
心のエネルギー量がわかると、
なんとなく納得のいく話だとは思いませんか?
自分の心のエネルギー量を知る
それは、自分に対しても言えます。
自分の心のエネルギー量を客観的に見ることができれば、
自分の癒し方も見えてきます。
「今日は、ひどい目に会った」
「可哀そうな私を、慰めてあげよう!」
と、
自分が受けた負のエネルギー量に見合う分だけ、
自分を慰めてあげれば、
立ち直ることができます。
。
芸術に見る心のエネルギー
音楽でも絵画でも、
作者のエネルギー量は、作品に表れてきます。
作者のエネルギー量が大きければ大きいほど、
受け取る側の心が大きく揺さぶられ、感動を呼び起こすのです。
芸術が人に与える感動は、作者の技能の高さではなく、
作者の心のエネルギー量なのだと思います。
まとめ
今回は、心のエネルギー量について、
具体的な例を挙げながら、解説してきました。
いかがだったでしょうか?
今回は、ここまでです。
最後までお読みくださりありがとうございました。
次回、またお会いしましょう。