[墨彩画の参考資料] 禅語「日日是好日」について

こんにちは。
墨彩画家でセラピストの桂颯(けいそう)です。

画像の色紙は、5年ほど前、
京都東山区にある蓮華王院の本堂、「三十三間堂」を見学した際に、

売店で購入したものです。

この色紙のすがすがしい書が
とても気に入っていて、
いつも目につくところに飾っています。

美しい書は素晴らしい。

けど、いくら達人の書でも、読めないんじゃ仕方がない。

やっぱり、読める書がいい← これ、心の声

 

さて、今回は、
この色紙に書いてある
「日日是好日」の禅語について、
お話してみたいと思います。

え?
墨彩画教室なのに、何故、禅語?

と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、

このさわやか墨彩画教室は、

ただ墨彩画の描き方を勉強する場ではありません。

墨彩画を描きながら、人生をさわやかに楽しむための教室なのです。

どうぞ、お付き合いくださいませ。

禅語って難しく聞こえるけど、
とても素敵な言葉の宝庫なんですよ。

この禅語を学ぶことで、
人生がすこしづつ変わって、
さわやかに生きられる道しるべとなります。

それに、これまでも、私の作品集の中で、

禅語をいくつか、ご紹介していますので、

他の禅語もご覧ください。

 

というわけで、
今回は、
禅語「日日是好日」の意味を
一般的な説明だけでなく、
私の経験を通して、お話ししたいと思います。

また「禅語」の持つ素晴らしさについても、

後で解説しますので、

最後まで、ご覧くださいね。

 

目次

日日是好日とは

 

「にちにちこれこうにち」と読みます。

皆さんも、どこかで聞いたことがある
のではないでしょうか?
有名な禅語の一つですね。

昨日は、一日いい日だった。
今日もまた、よい日だろう。
明日も、よいことがあるといいな。
毎日、毎日、ずーっとよい日が続きますように。

なーーんて、都合の良いことを願う言葉ではありません。

お坊様が書いた本を読んでも、
それぞれに、全く異なる切り口で解説してあります。

「日日是好日」とは、

大変奥が深い人生の教えなのです。

けれど、
私の尊敬するご住職、枡野俊明氏が

「すっきり爽やかな心をつくる」という本の中で書いておられた

「晴れの日も曇りの日もあるのが人生
一日を「好日」とするのはあなたの心です」

という言葉が、この禅語の意味を表すのに、

一番、ぴたっとくる気がします。

 

禅語は、仏教の言葉で、お坊様が修行するための教えと

誤解されがちですが、

実は、
「どうやって幸せに生きていくか」ということを教えてくれる
私たちのための禅の教えでもあるのです。

しかし、禅語の言葉自体はシンプルですが、とてもとても奥が深い。

ただ言葉の意味を読んで、理解したつもりでいたら大間違いです。

禅語は、自分の体験を通して、
人生を通して、学んでいく教えなんですね。

なので、同じ禅語であっても、
お坊様によって、いろんな説明になってしまうわけです。

というわけで、

今度は、私自身が自分の体験を通して、

学んできた「日日是好日」のお話をしましょう。

私の日日是好日

20代、30代のころ、
次々に訪れる苦難の波に、
私は、倒れそうになりながら、

「どうやったら、毎日を楽しく生きていけるのだろうか?

お坊様のように、修行すれば、心が強くなって、

楽しく生きられるようになるのだろうか」

と毎日が、重い荷物を背負ったラクダの心境で生きていました。

「日日是好日」なんて、嘘だ。

と思っていました。

30代のある日、
駅で托鉢しておられたお坊さまから、

声をかけられたのです。

「あんた、悲壮な顔をしているよ。
うちに来て坐禅をしてみない?」と。

人間関係に疲れ果てていたわたしは、藁をもすがる思いで、
お坊様のご自宅に伺いました。

いっしょに、お経を称えて、坐禅1時間。マンツーマンです。
坐禅後は、ランチの時間という流れでした。

体の硬い私にとって、1時間の坐禅は、

足が痛くなってかなりつらい。
それに、ちっとも無心になれなくて、意味不明。

けど、不思議。

坐禅した後、なぜか、心が軽くなっているのです。

悩み事は、少しも解決していないのに。

「〇〇さんが、こんなこというので、つらいんです」と私が愚痴を言うと、
おぼうさまは、
「そうかそうか。それはつらいね」というばかりで、

仏教の話など、まるでなさらない。

けど、坐禅後に、おいしいお好み焼きやおうどんをご馳走してくださいました。

なんだかわからないけど、
とにかく、坐禅後のランチがおいしくて、居心地が良くて、

なんとなく、1年ほど通いました。

その時は、わからなかったけど、
今になって、しみじみ、お坊様の慈悲の心がわかります。
今になって、お坊様の深い優しさが心にしみわたってきます。

時を経なければ、どうしても、気が付かないことって、あるんですね。

そして、ある日、
お坊様が、ランチの時に、

ふっともらされた言葉に、私は驚嘆しました。

「仏教なんて、嫌いだ」
苦しそうな表情で、語られたのです。

お坊様は、臨済宗南禅寺派のお坊様で、

お寺のご住職になることを希望しておられたのですが、

何年も、お寺が見つからなかったのです。

でも、そんな単純なことではありません。

仏教の修行に命をかけ、誠心誠意尽くして、

人々の幸せを願っているからこそ言える、

「仏教なんて、嫌い」の一言だったのです。
単なる嫌いではないのです。

私にとって、なんというありがたい「嫌い」だったことでしょう。

そのとき、私は気が付いたのです。
お坊様のように、長く修行されていても、
「つらいことはつらいんだ」と。

修行すれば、メンタルが鋼のように、強くなるから、

くよくよせずに、心が軽くなって、幸せに生きられる

と思ってた私には、驚きでした。

お坊様だって、悩むときは悩み、苦しいことだってあるんだと。

子供ができたため、坐禅修行は挫折しました。

その後、40代、50代は、義母との同居や介護で、

またまた悩み事の多い日々を送っていました。

「日日是好日」どこがやねん。

ただ、私は、

以前、紀野一義先生に聞いていた仏教の教えを

たった一つだけ、守りました。

「那一点」の教えです。

いろいろできなくても、一つだけはやり遂げる。

認知症の母を介護するのは、
砂浜に文字を書くような徒労の毎日です。

書いても書いても、波にさらわれて、文字は消えてしまう。
つまり、どんなに心を込めて、介護しても、

すぐ忘れられてしまうので、感謝の言葉をもらうことはない。

誰にも理解されない孤独の毎日。

ともすれば、
義母に対する怒りがふつふつ沸いてきて、

「こんちくしょう」と怒鳴りたくなることもありました。

けど、
「那一点」の教え。

どんなに、心が怒りで濁っても、
心の中で悪態をついていたとしても、

毎朝、必ず、仏壇の前で、
「家族全員の幸せを祈る」という誓いをたて、

その一点だけは、守るようにしました。

人間はそれほど強くないので、
余裕のないときに、あれもこれも、

心を正しく清く保つことはできません。

ただ、怒りや憎しみで、自分の心をいっぱいにしたくなかった。

何故なら、心のうちで思っていることは、

必ず、外に漏れ出てくるからです。

子供たちに、醜い心で接したくなかったので、
「どうか、お義母さんが、幸せな老後を送れますように」と、

朝の祈りを続けました。

最初は、無理やりの真似事の祈りでした。

でも、
毎朝毎朝、何年も、何百回何千回と祈っていると、

少しづつ変化してきて、いつの間にか、

本当の祈りに変わってくるのですね。

いつのまにか、心から「義母の幸せ」を願うようになっていました。

義母が亡くなったとき、
涙がぽろぽろあふれ、
「お母さん、ありがとう。」と心から言えました。
介護のつらい日々は、すっかり消えていました。

あのつらい日々があったからこそ、

私は、メンタルが強くなり、成長できたのだと感じました。

修行させていただいていたのだと気づきました。

もし、「那一点」の教えがなかったら、

私は、自分の不幸を嘆き、人を恨み、

今頃、つまらない人生を送っていたかもしれません。

60代の今の私。

友人や隣人たちが、次々に亡くなっていく寂しさ。
そして、自分自身に、次々に襲ってくる老いや病の恐怖。

けど、今朝、家の外に出て空を見上げると、

西の空に、うろこ雲が見えて、

心地よい風が吹いていました。

グリーンパウゼのお庭に出ると、
ブルーベリーの実が少しづつ大きく育って、

アジサイの花が開きかけています。
ああ、もうすぐアジサイの絵が描けるなあ。

メダカが元気にえさを食べていて、

イチゴが今日も赤い実を一つつけていました。

そんなささいなことが、なんともうれしくて、

ありがたくて幸せを感じる。

これから、もっと年を取れば、
深刻な病に侵されるかもしれない。

どんな不幸に見舞われるかもしれない。

けど、今は、この朝のすがすがしさが幸せ。

これでいい。

そう感じられる自分が好き。

そう、これが、
私の「日日是好日」なのです。

さあ、皆さんは、
どんな「日日是好日」を学ばれて
いかれるでしょうか?

禅語とは

禅語は、徳の高いお坊様が、

長い間、命をかけて修行した末に会得した、

珠玉のような命の教えです。

私たちが、幸せに生きていくための
道しるべです。

禅語を心の中にいくつか携えていると、
最初、意味がわからなくても、

道に迷ったとき、
人生の岐路に立たされたとき、
たった一人で闇夜を歩いているようなとき、
ふっと頭に浮かんで、

進むべき道を教えてくれたりします。

皆さんも、ぜひ、
禅語を心の友としてください。

いつか、必ず、その価値に
気づくはずです。

まとめ

今回は、禅語「日日是好日」について、

私の体験を通してお話をしました。

いかがだったでしょうか?

これからも、時々、
さまざまな禅語を挙げていきますので、

いっしょに学んでいきましょう。

今回はここまでです。

最後まで、お読みいただきありがとうございました。

次回、またお会いしましょう。

ご参考までに、他の禅語については、

以下を参照してください。

クールでいること 禅語「水急不月流」