忙しくて心に余裕がなくなったときは、禅語「一行三昧」

短冊 禅語 一行三昧

 

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禅語「一行三昧」(いちぎょうざんまい)の「一行」とは、

一つのことに専念すること。

「三昧」とは、精神を集中することで、心を安らかにすること。

 

私は、これを生活の中に生かし、仕事でも家事でも、

目の前の一つ一つの作業に心を寄せ、

集中していくことと理解しています。

 

「あれもやらなくちゃ、これもやらなくちゃ、

忙しい忙しい。時間がない。もう一杯いっぱいで限界だ。

なぜ、私ばっかりこんな目に合わなくちゃならないんだろう」と、

感じている人は多いのではないでしょうか。

私も十数年前に、仕事と家事と介護に疲れはて、

絶望的な気分でいました。

 

そんなとき、駅ビルで托鉢をされていたお坊様に、

つい愚痴をこぼしてしまったのです。「忙しすぎて、つらいです」と

お坊様は、大声で言われました。

 

「働いて、働いて、ぼろぼろになるまで働いて、

それで死んでもいいじゃありませんか」と。

 

私は、そのとき、面食らって、ぽかーんとしてしまいました。

ええっ?! ぼろぼろになって死ぬの?

しかし、

しばらくして、

私は、つきものが落ちたようになって、思わず笑いだしたのです。

そうか、そうだったんだ。

私の心をいっぱいにしていたのは、

仕事ではなく、

「忙しい忙しい、なんで私ばかりこんな目に会うの?」

という不満だったのです。

 

忙しいと、私たちは、次々にやってくる作業に心を奪われ、

余裕がなくなって焦りや不満を感じます。

けれど、そうした焦りや不満、不安は、

実は、全く必要のないものどころか、

かえって、作業効率を悪くし、

体調を悪くさせてしまうものなのです。

 

心を落ち着けて、仕事の優先順位を決め、

目の前の一つ一つの作業に、心をこめて、集中していれば、

雑念の入る隙はなく、さわやかな気分になります。

 

忙しくても、落ち着いた気持ちで、生活できるのです。

「一行三昧」

なるほどなるほど。

 

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